ポール・クローデル展記念シンポジウム

 6月に入ってから、風邪で咳が出たり、喉が痛かったり、身体がだるかったりで、今ひとつ調子が上がらないんだけど、昨日、17日は横浜の神奈川近代文学館でシンポジウムがあるというので行ってきた。

 シンポジウムの題は「今に生きる前衛としての古典 ― 詩人大使ポール・クローデルの句集『百扇帖』をめぐって」というもの。

 前にも書いたが https://sayumikamakura.seesaa.net/article/201805article_3.html

ポール・クローデルは1920年代、約5年間、日本でフランス大使を務めた方。大使としての仕事のほかに戯曲、詩集のほかに句集『百扇帖』など執筆した。

 シンポジウムは、コーディネーターを芳賀 徹氏に、パネリストに夏石番矢氏、恩田侑布子氏、金子美都子氏の4名。こちらは壇上でマイクテスト中のもの。

 
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 シンポジウムの中身だが、最初は芳賀徹氏がポール・クローデルの俳句から他の文学的な作品について、その文学的な視点から、海外や国内の俳人も取り上げつつ格調高く話した。

 続いては恩田侑布子氏が、クローデルには恋愛というかエロチックな情を詠んだものもあることを指摘。自身でもクローデルの全俳句を五七五中心の日本語で翻訳したことを報告。翻訳は楽しい一方でなかなか大変だったようだ。

 3番目の夏石番矢氏は、クローデルの俳句の中から、前衛的、象徴的な事柄として牡丹、薔薇、太陽、米、水をとり上げ、クローデルの純粋な感受の光る世界にせまった。また、夏石氏が自分で墨書し、扇にしたてたその扇も開いて見せてくれた。

 4番目の金子美都子氏は、当時、フランスではクローデルのほかに俳句が詠まれていたことを、作品とともに発表。クローデル自身の「いいハイカイというものは、中心となる映像と・・・その映像をとりかこんで生じる一種の霊的精神的な暈(かさ)とからなっている」という言葉を紹介してくれた。

 私は、4人それぞれの含蓄に富んだ発表を聴きながら、改めてクローデルの好奇心の強さ、広さ、そのためには労をいとわない積極性に驚いていた。また、俳句は、日本語で詠むものとは限らないこと、季語よりも自分自身が何をどう表現したいか、ということに重きを置くべき、と教わったように思った。

 さらに私は、日本人が日本語で詠むように、ポール・クローデルは母国語であるフランス語で俳句を(墨書まで!)詠んだこと。つまり遠い国の遠い人がした(めずらしい)ことではないこと、誰でも興味と関心があれば俳句を詠みうることを考えていた。クローデルの俳句は、日本人として、俳人として、大いに学びたいとも思っていた。

話は変わるが、今回のシンポジウムで嬉しかったことがあった。それは久しぶりに堀田季何さんに会ったこと。今もその俳号で句を詠んでいるかはわからないけど、また気が向いたら発表してくれるといいな。

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