平家の落人

 私の祖先は平家の落人だったと叔父から聞いたのは5年前だった。

 私の父の里は、高知の山奥にある。近くの越知町の横倉山には、安徳天皇陵墓参考地もあるが、私の父の家があったのは、その越知よりもう少し山奥。今の地名は仁淀川町だが、その前は吾川郡吾川村と呼ばれる場所だった。いくつも続く山の斜面のわずかに開けた場所。近くには似たような家が数軒。ちょっと山道を降りたところにも数軒。おもしろいことに、それらの家は皆、同じ姓の鎌倉を名乗っていた。遠い昔から肩を寄せ合って暮らしていたことは何となくわかった。

 集落には、麓から登ること2~3時間、細く曲がりくねった道を辿ってようやく着いた。飲み水は、離れた仁淀川からホースで各家まで流していた。日用品は、私が小さかった頃、父もまだ元気で夏や冬の休みには帰れたころは、1週間に一度くらい、車で売りに来ていた。

 そうそう、この仁淀川の名前の由来を聞いたときも驚いた覚えがある。京都から大阪にかけて流れる淀川を1番として、こちらは2番めだから仁淀川となったのだそうだ。私も1,2回泳いだり、魚をつかまえたりして遊んだことがあるが、とてもきれいな川だ。

 もしかしたら、とは思っていたが、数年前まで、私も自分の祖先が平家の落人と、はっきりとは知らなかった。あの山の人たちの間では、そのことにあえて触れるような雰囲気はなかったように思う。まして山を離れて暮らす人間がたまに帰ってきても「ようもんた。大きゅうなったな」とは云ってくれても、それ以上のことを語ってくれるはずもなかったのだ。本気で聞かなかった私も悪かったのだろうが・・

 今はもう、ほとんど帰ることのない高知の山奥の家。そこでの暮らしでよく覚えているのは、空がとても広く、そして近かったこと。食事のときなど、まるで空と一緒に食べているような、いや空を食べているような気がした・・・

この記事へのコメント

mishimahiroshi
2015年06月10日 02:20
私の父の実家は瀬戸内海を挟んで対岸の福山市の山中。やはり平家の落人と言われていました。
ラララ
2015年06月10日 10:16
そうだったんですか。戦だから敗者がいて当たり前なのに、なぜか遠い昔の平氏に限って落人という言葉が使われますね。それが良いのか悪いのかわかりませんが。
mishimahiroshi
2015年06月12日 00:37
平家の落人は敗者ながらも歴史に参加したというある種の矜持が感じられますね。
岐阜の山中にも平家平という地名があり、平家の落人と名乗る人たちが住んでいます。木曽義仲に討たれた人たちだとのこと。
ラララ
2015年06月12日 18:35
確かにある種の矜持は感じました。私の父も50代で亡くならなければ、おそらく山に戻って暮らしていたことでしょう。若かった父が夏と冬の休みの度に帰っていたのは、そのための準備だったような気がします。長男でしたし。
Tsuji-Boston
2015年06月16日 00:44
鎌倉姓は鎌倉幕府の追補から逃れる為に名乗ったのでしょうか?

女性人権活動家で元参議院議員の紀平梯子さんの「紀平」姓は紀州の平氏という意味だそうです。
ラララ
2015年06月16日 20:52
Tsujiさん、お久しぶりです。鎌倉を名乗ったのは、そのとおりだと思います。恭順の意味があったと思います。わかりやすいですよね。
Tsuji-Boston
2015年06月17日 22:25
お返事有りがとうございました。「鎌倉』性は鎌倉文士と関係があるのか番矢さんに尋ねた折に旧性で本名です、との事でした。「佐弓」さんの「弓」も番矢さんの矢を弓に番うという意味ですかと訊いた際にはこちらも本名です、との事でした。ちなみに「番矢」の名前は知り合う前から使っていましたとのこと。何かお二人の運命を感じる名前だなと思っています。
Tsuji-Boston
2015年06月18日 02:38
先日のコメントにミスがありました。

誤: 追補
正: 追捕

失礼しました。

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  • 鎌倉佐弓の生家と鎌倉家の墓

    Excerpt: 鎌倉佐弓の生家。高知県の山奥。一帯が鎌倉姓を名乗る。この家の屋根裏から薙刀が出てきたらしい。国道から急な坂を登り、温泉があり、大きな岩のうしろに道がありたどり着く。 Weblog: Ban'ya racked: 2015-06-11 16:47